【公開講座】「国分の山城」を開催しました(建築デザイン学科)(建築デザイン学科)

2018-08-08

【公開講座】「国分の山城」を開催しました(建築デザイン学科)(建築デザイン学科)

2018-08-08

【公開講座】「国分の山城」を開催しました(建築デザイン学科)

建築デザイン学科

 

 平成30年7月28日、建築デザイン学科の河原洋子先生による公開講座・「国分の山城-国府新城(城山公園)の調査について」が開催されました。山城とは山の地形を利用してつくられた城郭のことで、現在の城山公園には新城と呼ばれた山城がありました。
 新城は、16代島津家当主・島津義久が住吉の富隈城から国分へ移ったときに設けられた戦闘になったときの詰の城でした。義久の住まいは現在の国分小学校にありました。
 この山城の様子は、昨年度の公開講座で紹介した「服部日記」や「国分諸古記」の中の「国府新城縄引帳」などから分ります。これらによると、義久の時代、城山公園の山頂には多数の武家屋敷があったようです。
では、縄引(なわびき)とは何でしょうか。国府新城縄引帳における縄引とは、間縄(けんなわ)を使用して測量することをいいます。この史料は、義久が亡くなってから90年ほど経ったころ、当時の道に沿って、ある地点・縄頭から次の地点・縄末までの方角と距離を計ることを繰り返した記録です。方位は十二支、距離は尺貫法の間が用いられました。そして、道の左右に古屋敷や竹木山があったことなど、辺りの様子も書かれています。
 昨年度は、建築デザイン学科4年生だった大平鴻汰君と篠宮昂輝君が卒業研究の一部としてこの縄引の作業を城山公園で再現し、縄引の経路を明らかにしました。他には、坂元屋敷、十文字、馬乗り馬場という縄引帳に書かれた固有名詞の位置も推測されました。
 本講座では参加者の方々からたくさんのご質問やご意見が挙がりました。しかし、城山公園に武家屋敷街があったことはあまり知られていません。国分の歴史として、もっと活かしてゆきたいものです。

 

 

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